これは
マザーテレサの有名な言葉ですが、
真実をついていると思います。
大嫌いな人は、
実は、自分によく似ています。
よく似ているけれど、
自分が見たくない、人に見せたくない、あってはならない嫌な部分を、
持っているから許せなくなる。
自分にないと
相手のいやなところに
気づくことができません。
だから
無関心になれる。
昔、大好きだった人が
大嫌いになることがあります。
それは
昔も、今も 変わらないけど、、
大好きな時は、好きなところだけ、
大嫌いな時は、大嫌いなところだけ見ていただけ。
木を見て森を見ずのことわざどおり、、
なかなか気が付くことができない。。
また、、
「群盲像を評す」というたとえ話にあるようにあるように
この話には数人の盲人(または暗闇の中の男達)が登場する。盲人達は、それぞれゾウの鼻や牙など別々の一部分だけを触り、その感想について語り合う。しかし触った部位により感想が異なり、それぞれが自分が正しいと主張して対立が深まる。しかし何らかの理由でそれが同じ物の別の部分であると気づき、対立が解消する、というもの。 (ウィキペディアより引用))
これが
たった一人の心の中で起きていることだから、
なかなか気が付くことが出来ません。
その時々に、
心は変化していて、
ある時の自分が、いつかの自分を裏切っていることに
なかなか気が付けない。
だからこそ、
人には、人が必要。
ただ、ただ、自分の気持ち、経験を言葉にしていくことに、
意味のあることなのです。
ゆえに、
安心して語れる場があることは、
大切なこと。
一歩も踏み出せないほど
傷つけられるのも
人ですが、
癒され、再生する奇跡も
人によって
起きる。
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